Carry out


 最後の最後が、シンバルで決まる曲があった。
 まあ、大体はみんなの歓声とかヒューヒュー言う音でかき消されるけど。
 でも俺は、その音が好きだった。

 バンドのメンバー、ポケモンたち、それから大抵前で飛んでるやつらと、くだらない余興を楽しんだのち、俺は帰路についた。
 すでに閉まっている遊園地では、夏のナイター営業に向け観覧車がつくられ始めていた。また娯楽街としてのシンボルが増える。
 夜はさらに明るくなるのか、と、やっと観覧車だとわかるようになってきた骨組みを見上げていると、一人の女の子に話しかけられた。
「あの、タムさんですか?」
「え、あ、そうだけど」
「やっぱり! ライブハウス以外で会えるなんて嬉しいです! 私ファンで、とくにタムさんが好きなんですよ!」
「……ありがとう」
 女の子は、それだけ言って闇に消えた。
 まあ、はじめの印象としては、よくいるファン、というだけだった。

 ある朝、俺がスーパーで肉を選んでいる時だった。
「あのー……」
 横から顔を覗かせた女の子がいた。
「あ、すみません、邪魔でしたね」
「そうじゃないでしょーっ!」
「……は」
「前会いましたよ、夜、観覧車を見上げているあなたに、ファンだって」
 ああ、あの子か、と記憶を呼び起こす。あの時はあまりよく見えなかったが、金髪を伸ばした女の子だった。
「……なんか、タムさんって、ディーボくんとは違ってクールだなーって思ってたんですけど、意外とキュートな一面あるんですね」
 その子は、俺の買い物籠を見て言った。
「ドロップスにミルクキャラメル……それに、ポケモンキッズ、ですか」
「オヤジが甘党なの。それと、ポケモンキッズはこのシリーズでようやくヒヒダルマが出たんだよ」
「ちびディーボくんですねっ! あ、あと、他のもの見る限りだと、今日の晩御飯はシチューですね? ならこのお肉がおすすめですよー」
 彼女はひょいとパッケージを取り、俺の籠に入れた。まあ、確かに今日の晩御飯はシチューだから、別にいいんだけど、なんというかアグレッシブだ。
「誰だかわかんないけどありがとな」
「じゃあ誰だか覚えてください! キャサリンです、次会った時はキャリーって呼んでくださいね!」
 女の子――キャサリンは、そう言って野菜売り場のほうへ行った。

 観覧車は、夏至を少し過ぎた頃に完成した。来月はじめから営業をはじめるらしい。
 ぴかぴか輝く観覧車を見上げたり、写真を撮ったりする人たちの中に、俺も混ざっていた。
 パーツショップの息子としては、こういうのものはいくら見ても飽きない。だが、観覧車の前に立てられた看板が俺を興ざめにした。
 そこには、「二人乗り専用」と書いてあったのだ。絶対に誰か一人誘わないと乗れないらしい。
 カップルで乗ってくださいとでも言っているようで、五人ぐらいと付き合ってきたけど今は彼女がいない俺へのあてつけとしか取れなかった。
 今度は憎悪のまなざしで観覧車を見上げると、どこかで聞いたような声で呼ばれ、視線を落とした。
「あら、また会ったねー」
「おま……キャサリンだっけ」
「キャサリンだけど、呼び名はキャリー! キャリーって呼んでよー」
「なんでいきなりタメ口になってんの」
「えーもう名前教えあったらお知り合いでしょ?」
 キャサリンは俺の隣で、観覧車を見上げる。
「こういうの好きなの?」
「好きっていうかむしろ嫌い」
「じゃあなんで見てるのよ」
「パーツは気になるから」
 俺が言うと、キャサリンは目を真ん丸くした。
 部品とかそういうのが好きなのって、やっぱり変わってるんだろうか、と思うなやいなや、彼女は口を開いた。
「あ、あれ……? ひょっとして、あなたって、甘党のおじさんがやってるパーツショップの一人息子?」
「は」
 なんでこいつ知ってんだ。てかパーツって言っただけでばれるようなことかよ。
「図星みたいね。おじさん言ってたわよー、息子が夜遅くまで遊んでて寂しい、お前さんみたいな女の子だったらもっといてくれるかもしれんのになーって」
「なにも言ってないのに勝手に話進めんなよ」
「ってことはやっぱ本当なんだ」
 彼女はしたり顔で言う。そして俺の頭をぽんぽん撫でる。
「なにすんだよ」
「バンドもいいけど家族も大切にしなきゃだめよ」
「考えとくわ」
「じっくり考えなさいっ」

 それから、キャサリンはことあるごとにパーツショップに来るようになった。
 俺が居留守を決め込もうとしても、オヤジはガールフレンドが来たぞーと言って、二階にどたどた駆け上がってくる。
「パーツのこと教えてよ。あ、これ知ってるー、エレキブースターってやつでしょ!」
 また俺が返事もしないうちに、キャサリンは棚から商品のサンプルを取る。
「ああ、なんか電流とか調節して、ある電気ポケモンに大きなエネルギーを与えられないかとか研究されてて……って毎度毎度こういう説明聞いて楽しいの?」
「ポケモンに関することは面白いのもあるけど、まあ大抵はつまんないかな。でも見るのは楽しくなってきたわよ、あれとあれがつながって一つのものができるんだなーとかわかってきて」
「お嬢ちゃん面白いのう」
「ヒヒン!」
 オヤジとディーボが言った。なぜかこいつらはキャサリンをものすごく気に入っている。
「あ、そうそう! 今日は私からもプレゼントがあるのです!」
「プレゼント?」
 オヤジとディーボがニヤニヤこちらを見てくる。俺がきっとにらみ返すと、またせわしなくパーツ運びをはじめた。 「じゃん。遊園地のチケット! リニューアルオープンして、ナイター営業もはじまるからねっ」
「これを俺と……?」
「うん」
 そしてまた、野次馬コンビが見てくる。なんか言うのも面倒になった俺は、じゃあもらっとくわ、と言ってチケットを受け取った。

 どうやらそのチケットは、観覧車オープン記念だとかいって、ライモン近郊の住宅地にポスティングされていたものだと後にわかった。うちにも二枚入っていたけど、オヤジがどうせお前は俺と行ってくれないから、とか言って捨てたらしい。

 そうわかってもなお、キャサリンと行きたいと思う俺がいた。
 今までに付き合った女の子といえば、俺の外見とかドラマーっていうステータスだけが目当てってことが見え見えで、自分から好きになろうとは思わなかった。
 告白もされただけだし、全員向こうから別れを切り出してきた。
 それで、別れたと友達に報告でもすれば、お前そろそろマジで魔法使いチェリー予備軍だぞ、と言われたりもした。
 でも、彼女は――どこか違うような気がする。

「タムー! よかったね、ピカチュウふうせんの前で待ち合わせって! 人いっぱいだよー」
「……まぁな」
 キャサリンはいつもよりおしゃれしていて、まあ、端的に言えば、可愛かった。
「今日はいろいろ乗ろうねー! あのチケット、のりほだから」
 さすが、というか、遊園地も大サービスをしたものだと思う。
 友達――とくにバンドのメンバーに見られたら嫌だと思っていたが、ここまで人が多ければ逆にどうってことないだろう。
「じゃあまずあれー! ペンドラーコースター!」
「いきなり絶叫系かよっ!?」
「うん! だってペンドラー可愛いじゃん」
「微妙に理由になってねーぞ……」
 俺はそう返しつつ、別に絶叫マシーンが苦手というわけではないから、一緒に並びに行った。
 ほどよく叫んだ後、彼女が行きたいと言ったのはまた絶叫マシーンだった。
「はい、次はあれ! フタチマルスライダー!」
「お前もっとさぁ……」
「え、あっそうかタムくんが行きたいとこ言ってくれたら……」
「いや、それでいい」
 よく考えたら、普段からマシンガントークをかっとばすキャサリンが絶叫マシーン好きでもなにもおかしいことはないわけで。今までの彼女と来た時はスワンナボートとかそういうのばっかだったし……。
 ただ、そういうのに乗れば別れ切り出された時とか思い出しちまうし、まあいいか……。

 急流すべりの最中、アクシデントは突然訪れた。
 高いなーと下を見下ろした俺から、メガネがぽろりと落ちたのだ。メガネはそのまま、水をちゃぽんとならした。
「うわー最悪……」
「ごめんタムくーん!」
「いやキャサリンは悪くないから、悪いの俺だから」
 俺はすぐにスライダーの方を見やり、ぷかぷか揺らめく水面を凝視した。
「あった! ……すいません、スタッフの方ですか? 俺のメガネがあそこに」
「へ、メガネ? ああ、本当だ。よし、ミジュマル! 取ってきてくれるか」
「ミィッジュ!」
 スタッフのポケモン、ミジュマルは、華麗に泳いでメガネを取ってきた。
「ありがとうございます」
「はい、じゃあ引き続きカップルで楽しんでねー」

 カップル、か。まあ確かに端から見たらそうだよな、と考えていると、キャサリンが不満そうなまなざしでこっちを見ていた。
「なんだよ」
「どういうこと?」
「は?」
「前にMCでエルさんが言ってた、タムくん伊達メガネ説ってほんとなの?」
「ああ……あんなもん、嘘に決まって」
「嘘じゃないでしょ! だってさっき、沈んだメガネを裸眼で見つけてたじゃない。私なんにも見えなかったわ」
「自分のなんだからわかるよ……」
「にしてもおかしい」
「……」
 エルのやつめ、と思いつつも、伊達メガネは説じゃなくて真実だ。
「ねぇ本当のこと言って」
「なんでだよ」
「タムく……タムが好きだから」
 そう言われた時、時間が止まった気さえした。このタイミングで言われるとは思わなかったし、また別の意味でも。
 だが、俺が返した言葉は、ひどく冷たいものだった。
「んだよ……他人のメガネのことなんてどうでもいいだろ! ほんと女ってこういうことネチネチネチネチ……」
「な、なによ」
「鬱陶しいって言ってんだよ!」
 俺は言い放つ。なんだなんだ、と野次馬数人が集まっていたが、そんなことは気にも留めなかった。
「……ひどい」
 キャサリンはそう言ってきびすを返し、ヒールを履いたまま走っていった。
 俺は呆然とし、野次馬たちは去ったり、おろおろしたりしていたが、それら全ては、花火の音ひとつでなくなった。
「花火だー!」
「見てみて、タブンネだ! 次はエモンガ!」
 人が、花火の観やすいその場所に集まり、キャサリンは完全に視界からいなくなった。

 見えなくなったら、失ってしまったら、追いかけたくなるものなのだろうか。
 いや、今までそんなことは一度もなかった。いつも受け身で、自分からなにかするなんて一度もしたことがなかった。
 女の子たちにだってそうだし、オヤジにだってそうだ。
 でも、そこに悲しいと思う自分がいた。だから俺は、追いかけた。

「キャリー!」
 俺は意図せず、そのあだ名を呼んだ。子供、カップル、親子の衆に呑まれながらもその名を呼ぶ。
「キャリー、キャリー!」
 彼女の金髪が見えた時、俺はその腕をぐいと掴んだ。
「……タム……?」
 そしてそのまま、人ごみを抜けた。

「ねぇなんで? なんであんなこと言ったの? 私好きなのに……タムのことが好きなのに!」
 キャリーは必死そうに、俺のすぐ隣の壁を叩く。
「……すまねぇ。メガネは安心するからかけてるってだけだ」
「周りと壁作ってるってこと?」
「まあ、そうかもしれねぇな」
 俺はキャリーの腕をそっと握った。
「後悔しねぇか」
 女一人愛せなかった俺だ、やっと守りたいとかそういう感情が芽生えたにしても、それをやりきれるかは別の問題だ。
 まあそう冷静に考えてみるけど、ただ、ここに至っても自信がなかったってだけだ。
「はい」
 短い返事だった。花火の音と歓声でかき消されて、俺にしか聞こえない声だ。
 そして、今聞こえている音のなかで、俺はこの声を一番必要としていた。
 だから俺は強く彼女を抱きしめ、こう誓った。

「もう離さない」


 69さん宅のキャサリンさんお借りしました。
 バンド設定やエルトロさんは草菜さんからお借り。ドラムにしていただき感無量です。

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